「持続可能な水産物」のテーマは水産業界の枠を超えて社会全体に広がる。それを象徴するのがトークセッション4本目で取り上げられたESG投資だ。パネリストには、SDGs目標達成に向けた主要企業のパフォーマンスを評価する、WBA(ワールド・ベンチマーキング・アライアンス)事務局長のゲルブランド・ハーフェルカンプ氏と、大和総研 調査本部・研究主幹の河口真理子氏、三井住友トラスト・アセットマネジメント スチュワードシップ推進部 シニア・スチュワードシップ・オフィサーの川添誠司氏。司会は日経ESGシニアエディターの藤田香氏がつとめた。
司会の藤田氏はまず、ESG投資家の視線が気候変動から水、森林へと広がり、水産資源にも及びつつあることを指摘。2018年に設立されたWBAで、さまざまなベンチマーキングの中でシーフード業界の評価を取り入れていることに注目し、ハーフェルカンプ氏にマイクを渡した。
アムステルダムとロンドンを拠点とするWBAの役割は、SDGs達成に向けて主要企業が及ぼす影響を評価することだ。変革が必要と考えられる各分野で特に大きい影響力を持つ企業2000社を評価し、結果を公開している。人権問題、ジェンダー、サプライチェーンなど多方面から企業活動を洗い出していく中で、水産業も俎上に上がる。
水産企業はSSI(シーフード・スチュワードシップ・インデックス)という独自の指標によって評価される。大きく「ガバナンス・サプライチェーン・生態系・人権と労働条件・地域社会」の5分野、13項目の評価指標をハーフェルカンプ氏が紹介した。
評価にあたってはシンプルでわかりやすいベンチマークをめざしたと言う。全体としては多くの企業がサステナブルを目標に掲げているが、水産業独特の複雑さゆえに管理がなかなかうまくいかない現実も見えてきた。
2015年にAP通信の報道したタイ漁船での強制労働が大問題になったこともあり、ほとんどの水産企業はIUU(違法・無報告・無規制)漁業に対策を講じているが、なかなかサプライチェーンのすみずみまで目が行き届かない。全体にトレーサビリティの確保と、FIP(漁業改善プロジェクト)などの動きをスケールし、業界全体へと広げていくことが課題だと説明した。
この評価について「CSR/ESG投資の専門家の目から意見を」と促された大和総研の河口氏は、自身の水産資源問題との出会いから話を始めた。
2013年に初めて、アメリカでのサステナブル・シーフードのイベントにCSRの専門家として参加したときは、河口氏も「CSRと魚に何の関係があるのか、意味がわからなかった」。魚のことならアメリカ人より日本人の方が詳しいのに、と。しかし聞くと水産資源はどんどん枯渇していて、世界では資源管理が進んでいるのに、日本では何もしていない。日本人は魚好きを自認しているのに、という大きな矛盾。そしてこれはCSR的にも重要なトピックで、投資家にも市民社会にもアピールしていかなければならない、と気づいた。
環境保全への意識も取り組みも「海と陸には大きなギャップがある」と河口氏。水産の現場は関係者以外には見えづらい。「SSIインデックスの意義は、そのギャップを埋めること」だと答えた。
WBAで取り上げている水産企業は350社、そのうち主要プレイヤーとされたトップ30社の中の6社、実に5分の1が日本の企業だ。世界の危機感が高まる中で、日本企業の責任は重い、と河口氏は語る。
これまでESG投資の中では気候変動や女性活躍への関心が高かったが、「投資家の集まりで魚の話をすると全員が興味を持つ」。生物多様性が大事と話しても響かなかった人も「魚がいなくなる」と言えば食いついてくる、と河口氏。
ESG投資の規模は世界で3千3百兆円(2018年)、日本でも230兆円で、日本では2016年から18年の2年間で4倍に増えている。規模の拡大とともに取り上げるテーマも増え、自然資源もそのひとつとして浮上している。
自然を資本ととらえれば「投資家や金融機関としては、資本の健全性をチェックするのは当然」、と河口氏。なのに自然資本のチェックは今まで盲点だった。5点満点で最高でも2.7というSSIインデックスの数字には、それが明白に表れている。
続いて三井住友トラスト・アセットマネジメントの川添氏が「SDGsへの関心は高まっているが、海洋環境問題への金融機関のアプローチは比較的最近の動き」と説明した。
海洋のスチュワードシップ推進のフレームワークとして、川添氏は3つのステップを挙げた。ゴールの設定、ゴール達成のための行動基準、そして施策だ。ゴールはこの場合SDGsの14番、行動基準はブルーエコノミー原則などのプリンシプルだ。
2018年にメキシコで開催された国際海洋サミットでは、民間資本のコミットメントを目的とした2つの原則を発表している。ひとつが持続的ブルーエコノミー原則、もうひとつが持続可能な天然水産物の漁獲への投資原則だ。
ゴール達成のための施策は、自社内あるいは業界横断でのエンゲージメント活動だが、そのためにはツールが必要だ。MSC、ASCをはじめとした水産物の国際認証システムもあるが、これらは企業全体を評価するものではない。そこでSSIのようなレーティングシステムを取り入れることが標準化している、と述べた。
「SDGsへの関心が高まる中で、シーフードに関する情報も増え、投資家や消費者の意識も変わりつつある」と司会の藤田氏。日本マクドナルドがフィレオフィッシュのパッケージにMSC認証マークを表示し始めたのは象徴的な出来事だ。小中学生も日常生活の中で水産資源の持続可能性を意識することが普通になってゆく。
そんな中、WBAの位置づけは? あらためて問われ、ハーフェルカンプ氏は「ポイントは公開性」と説明した。
今までのリサーチの多くは、見えないところで行われていた。しかしWBAは「企業のパフォーマンスをランキングし、これまで公の場で比較できなかった情報が見えることを大事にしたい」と強調した。「我々は誰もが労働者であり、消費者である。自分の年金の運用投資先を気にする人はほとんどいないが、今後はそれを可視化する必要がある」。それは金融業界だけでなく、市民社会全体にとって重要なことだ、とハーフェルカンプ氏。
水産業は途上国が関わって大きな価値を生み出している産業であり、その分リスクもある。産業の規模は他と比較すれば小さいが、だからこそ投資家が介入することで、水産業をきっかけに食料システム全体を変革できる可能性がある。
日本人は水産資源の現状に大きな責任を負っているにもかかわらず、それを認識してこなかった、これは日本の社会全体が抱えるリスクになる、と河口氏。「WBAのランキングのような形で白日のもとにさらされて、改めて大きなリスクを放置してきたことに驚く。人権問題も日本では比較的新しい話題だが、他人事ではない」と警鐘を鳴らした。
川添氏も「今、持続可能性の中でもいちばんのテーマは気候変動だが、なぜそれが問題かというと、人間社会の根幹をなす食糧問題につながっているから」だと述べた。食は常に大きな課題だが、今までは投資の中でのツールとして、企業全体を把握できるものがなかった。それを公的な場で見えるようにした意義は大きい、とWBAを評価した。
WBAのSSIランキングの中でも、日本の水産企業のスコアは決して高くない。その問題点を尋ねられてハーフェルカンプ氏は共通の課題を2つ挙げた。
ひとつは水産業に限らず、市民社会からの視線に不慣れで、情報開示の文化を持っていないこと。これは今までラッキーだったとも言える、とハーフェルカンプ氏。「SSIが高スコアの企業は、過去に手ひどい批判を受けて学んだ会社だから」。
もうひとつは水産業特有の業務構造だ。「子会社などの膨大なネットワークに依存し、方針やガバナンスが末端まで行き届かない」。
ひるがえって金融・投資家から見ると、どんな開示の形が有効なのか? WBAのベンチマークはどのように活用されうるのか?
川添氏は「非財務情報の開示のあり方で大事なのは透明性」と強調した。ガバナンス、課題への取り組み、それに対するKPIなどを、たとえばTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)が掲げるような枠組みの中で開示していくことが重要だと言う。
これを受けて河口氏は「TCFDはカーボンに注目しているが、トピックをカーボンからシーフードに変えても使える」。それを念頭に置きつつ、企業としては「自社のマテリアリティが本当は何なのかを考える必要がある」と釘を刺した。TCFDは流行のようになっているが、それだけやっていればいいというものではない、と。
「ツールはいろいろある。WBAのベンチマークもそのひとつ」とハーフェルカンプ氏が加えた。海洋や水産資源についての科学的情報は存在しているが、それを投資家に通じるように翻訳する必要がある。その仕事が重要だ、と自分たちの役割を説明した。それがあって初めて「科学を行動に変えることができる」と。
藤田 香
ファシリテーター
日経ESG編集 シニアエディター& 日経ESG経営フォーラム プロデューサー
魚の街、富山県魚津市生まれ。東京大学理学部物理学科を卒業し、日経BPに入社。「日経エレクトロニクス」記者、「ナショナルジオグラフィック日本版」副編集長、「日経エコロジー」編集委員などを経て現職。富山大学客員教授、聖心女子大学非常勤講師。ESG経営やSDGs、生物多様性・自然資本、地方創生などを追っている。環境省のSDGsステークホルダーズ会合委員や自治体の有識者委員なども務める。著書に『SDGsとESG時代の生物多様性・自然資本経営』など。
河口 真理子
スピーカー
株式会社 大和総研 調査本部 研究主幹
一橋大学大学院修士課程修了(環境経済)。大和証券入社後、94年に大和総研転籍。2018年12月より大和総研調査本部研究主幹。担当分野はCSR・ESG投資、エシカル消費などサステナビリティ全般。アナリスト協会検定会員、早稲田大学非常勤講師、国連グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパン理事、NPO法人・日本サステナブル投資フォーラム共同代表理事、環境省中央環境審議会臨時委員(2018~)著書「ソーシャルファイナンスの教科書」生産性出版、など。
川添 誠司
スピーカー
三井住友トラスト・アセットマネジメント スチュワードシップ推進部 シニア・スチュワードシップ・オフィサー
略歴:
1987年三井住友信託銀行入社。
1992年ロンドン大学ビジネススクール卒業
1994年公的資金運用部
1995年外国株式ファンドマネジャーとして、ニューヨーク駐在。
2004年外国株式ファンドマネジャーとして、ロンドン駐在。
2007年受託資産企画部付け、ルクセンブルグ現法駐在。ESG担当。
2010年受託資産企画部 審議役 ESG・商品企画担当
2017年1月スチュワードシップ推進部 主管
・1987年、三井住友信託銀行入社、法人向け証券・為替営業窓口を皮切りに、1992年、ロンドン大学ビジネススクール卒業以降、外国株式ファンドマネジャーを海外拠点中心に歴任。欧州駐在から運用とESGに関する業務企画を担当。2010年に帰国後、PRI(国連・責任投資原則)においてエンゲージメント活動に従事。ESG関連で講演等活動。東京大学大学院新領域創成科学研究科 非常勤講師(現職)、英国レディング大学ヘンリー ビジネス スクール客員フェロー。(現職)日本証券アナリスト協会検定会員、CFA協会認定証券アナリスト(CFA)。
ゲルブランド・ハーフェルカンプ
スピーカー
ワールド・ベンチマーキング・アライアンス(WBA) 事務局長
投資家、NGO、ビジネスプラットフォーム、政府機関、既存の情報開示基準を取りまとめ、企業のSDGs(持続可能な開発目標)への貢献度をランク付けする無料かつ公的に入手可能な基準を開発する非営利団体、ワールド・ベンチマーキング・アライアンス(WBA)の事務局長。
WBAの共同設立パートナー組織の一つ、Index Initiativeを設立した人物であり、それ以前はオランダ政府に勤めインクルーシブビジネス、持続可能な農業サプライチェーン、食料安全保障の各分野に携わる。